香ばしい湯気の向こうに

子供のころ、銭湯で最後に呑ませてもらうコーヒー牛乳が、コーヒーらしきもののとの初めての出会いであった。



ナイロンの覆いをとり、紙のキャップをキリのようなもので突き刺してもらい、パカッとはずす。ガラスの容器に、唇をいっぱいに押し付けて、仁王立ち。天井の大きな扇風機を眺めつつ飲みほしたものです。あの甘ったるい味が、あのときにはたいへんなごちそうでした。



数年たち、高校生のころに喫茶店なるものに初めて足を踏み入れ、そこでホットコーヒーなるものに遭遇した。舌先に苦み走った液体がのると、「これが噂に聞くサテンのコーヒーか」とうれしくなった。金属の小さなカップに入ったミルクのようなフレッシュを入れて、大人になったような不思議な感覚になった。




大学のころ、友人の部屋に行くと木製の箱に回転式のハンドルを、グリグリ回して、自慢げに曳いたコーヒー豆をサイフォンで入れて飲ませてくれたっけ。


当時はそれが、ステイタスだった時代。アルバイトで、喫茶店のウエイターや厨房でコーヒーを立てて、その奥深さにびっくりしたあの日。E・アミーゴのパパさん、あなたの厳しさをいま、ありがたく思い出しています。


珈琲店やスターバックスやドトールにいけば、美味しいものが手軽に手に入る時代に感謝。

 

あれから何杯のコーヒーを飲んだかは不明だが、様々な食べ物の味を知り、ほとんどすべてを経験したはずと思っているだけなんだろう。

が、最近、とみに新しい香り、味覚や食感に飢えている自分を感じるのです。