弱い父親にはなれない

亀田親子、内藤選手に謝罪のNEWSをみて考えた。

フロイトの「ドフトエフスキーと父親殺し」をご存知であろうか?
そのなかで、フロイトは父親殺しとドフトエフスキーについて分析をしている。

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は子供の父殺しの話である。登場人物の中で、直情的な性格の長男ドミートリイは父にとてつもなく反発していく。100年前の小説。人間はいまも昔も変らない。

 息子が父に反発するのは永遠のテーマであり、子供が大人になっていくための「通過儀礼」なのではないだろうか。最初に越さねばならないライバルが父親なわけです。そして、ひとりの男として成長していく。

「強いことがすべて」「勝てば官軍」「勝てばすべて許される」
そういった言葉で貫かれた父親の恐怖政治のなかで育った子供は、父親が世間に頭を下げることなど見たくもないし、信じられないこと。

そして、そんな姿を息子には見せられない父親のプライドと葛藤。
父・史郎氏は、すごい形相でしたね。弱い父親にはなれませんから。

内藤選手は男を上げました。

ギター侍に似てるけど。(笑)