命をいただくこと

東京に行かせていただく度に、ビックリするのは「人の多いこと」。






 

 

 

 

一般に名前の知られている街なら、新宿でも、原宿でも、渋谷でも、目黒でも、品川でも、新橋でも通りは人で溢れている。

 

その誰もが、仕事をし、当たり前のようにお昼には食事をして、排泄をして、また仕事へ。

 

コンビニであろうが、ファーストフードのお店であろうが、ファミリーレストランであろうが、行列のできる人気のレストランであろうが、それぞれに完成されたレシピで、それなりの美味しい食べ物で溢れている。


身体に善い、悪いは別にして・・。

 

 

 

飽食日本は、便利にできている。お金さえ出せば、食べる物に困りはしない。

いまだに発展途上にある第三世界では、これほど多種多様な食材は揃わないし、満足に腹を満たせない子供たちで溢れているというのに。

 

いつから、美徳とされていた「一汁一菜」の食文化は変化し、度を超して贅を求めるようになってしまったのか。グローバル化が問題視される世の中で、「食文化」だけは、グローバル化が完璧に仕上がっている。

 

これを書いている間にも、無意識のうちに、晩ご飯は何を食べようかと考えている自分自身に驚いてしまう。

 

以下のURLをクリックされて、映像をご覧いただきたい。これから食事をされる方、されて間もない方は少し時間をおかれてからをお奨めします。

 

 

http://dout.jp/706 

 

 

 

 

気分が悪くなられた方も、多いでしょう。畜産や養殖に携わられている方々にとっては、当たり前の光景だそうです。

 

 

豚を屠殺するとき、電気ショックをしたのち動脈を切って殺す。

 

牛においては眉間を撃ち抜いて殺す。

 

 

酷いと感じられるかもしれませんが、出来るかぎり、苦しめずに殺生しているのです。

羊は子羊の時に尻尾を腐らし落とすそうですし、牛は玉を潰し、去勢し、角を切り落とし焼き印します。

 

 

 

ペットショップから我が家に来た、愛犬のマーブルは、最初から尻尾が短く切断されていました。そして、獣医によっての去勢も済ませている。

 

 

 

 

すべて、人間の都合のために・・。


 

 

しかし、畜産の動物やペットたちはそれによって種を繋げている



医学の世界でも動物は実験動物としても各方面で使われ、女性が使う化粧品は開発される段階で身体に影響ないか、生きたウサギの目に入れて確認するそうです。

 

 

 

食品のみならず、生活で使っているものも多くの命の上に 成り立っています。

 

 

 



全ての命の仕組み、営みのなかに無駄な殺生はないのだろうか?!といま一度。



ライオンやトラ等の肉食動物、鷹や鷲のような猛禽類も、さらに草食動物でさえも、生きていく分だけの殺生で命をつないでいる。




「最後は自分自身の身体も、小さな動物や微生物の為に土に還る」という、自然のサイクルを乱しているのはわれわれであるという自覚。



せめて、手を合わせ「いただきます。ありがとう。ごちそうさまでした。」の気持ちを忘れないでいたいと思うのです。