「所有すること」の終焉

部屋を整理していたら、昔の旅行のビデオが出てきた。VHSのビデオテープ。考えてみれば、レコーダーが、すでにないので観れないのだ。

 

規格が変わったり、MDがなくなり、CDからDVD、あるいはデータ・ファイルへと方式自体が変遷し、世代交代していくことで、保存していた映像や音楽は、無と化してしまう。技術の進歩や進化のスピードが急激に速くなっているからだ。このような現象は、あらゆる事柄に当てはまる。どうやら、所有することの意味が、どんどん希薄になりつつあるようだ。いつでも、どこでも使えるなら、持つ必要はない。所有する意味は、すでに「コレクターとしての趣味の世界」になりつつあるのか・・。

一時期、クルマやバイクの改造が流行った時代は遠い昔。私も、ビートルを自分流に改造して、乗り回していた時代があった。が、いまは、ボンネットを開けても、ウッシャー液、バッテリーやオイル残量をみるくらいで、素人には触ることすらできない。

20年ほど前、レーザーディスクのコレクターでした。友人を自宅に集めては、「グラン・ブルー」や「ディーヴァ」の上映会をしたことをなつかしく思い出す。いまでは、笑い話に近い。直径30cmのディスクは、DVDになり、PCのファイルになり、すでにオンデマンドで、お金さえ出せば、いつでも観ることが可能な時代。今後、さらに進化していくだろう。

 

・持ち家より賃貸に住む。

・マイカーよりレンタカー、駐車場のカーシェアリング、あるいはタクシー。(私自身クルマは、何年も前から、所有せずにリース)

・書籍、音楽CD・映像DVDをもたず、TSUTAYAかPCよりダウンロード、あるいはウェブからオンデマンド。

・冠婚葬祭の衣服や旅行のスーツケースはレンタル。

・パソコンのハードディスクにデータを貯めずに、クラウド・サービスでWEB上に保存する。(私の通常のメーラーは、gmailです)

このような現象は、歯止めがきかない。普通のことになりつつあります。

 

所有する事の意味は、「いつでも、自由に、使いたいだけ使えること」だったけれど、家にモノを溜め込むことがカッコワルイ時代になった。レンタル市場が整備され、安価になればなるほど、できる限りのものをデジタル化し、クラウド化し、すべてのものに対してのレンタル市場化は進んでいくのだろう。所有欲やコレクター嗜好は、確実に残っていくであろうが・・。

いらないものに囲まれた生活は、時代遅れなのだ。「豊か」ということは、「人より多くモノを持つこと」ではなく、「豊かな人ほど、モノを持たない」時代になりつつある気がする。

 

ああ、新しい年になる前に、思いきり「断捨離」したい!

 

 

 

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