ご存知の方も多いと思いますが、クラプトンが来日して、全国ツァーを敢行するそうです。
彼については、過去にも書いたことがあるけれど伝説の現存するギタリストの筆頭ではないだろうか。
その破天荒な人生。以下、ウキペディアから抜粋
■1960年代からヤードバーズ、クリームなどのバンドでギタリストとして活動。その演奏について、エリック・クラプトンは神だとロンドン市内に落書きされた。「スローハンド[1]」というニックネームで知られる[2]。 ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第4位[3]。身長177cm。
1970年代には薬物依存症、1980年代にはアルコール依存症、交通事故、胃潰瘍を経験。その挙句に妻パティ・ボイド(親友ジョージ・ハリスンの前妻)を裏切り、1984年にクラプトンはイボンヌ・ケリーと一年に渡って関係を持ち、1985年の1月に彼女との間に娘のルースを密かに産ませた[4]。しかし1986年にはイタリア人女優ローリ・デル・サントとの間に息子まで儲けたことは隠し切れず、この話がパティの耳にも入ったことがきっかけで、夫婦関係が以前にも増して悪化し、1988年に離婚が成立した。その後に1991年3月にその息子コナー(享年4歳)がニューヨークの高層マンション53階の窓から転落死するなど、私生活では波乱万丈そのものであった。
こうやってサラリと書いてしまうとなんてことはないが、このおじさんはすごいことを何度も懲りずに繰り返している。
その当時、友人であったビートルズのジョージ・ハリソンの奥さんとできてしまう。(まず、友人がビートルズメンバーってだけですごい!)そのときに、パティ・ボイドに対しての恋心を歌った曲があの名曲「いとしのレイラ」。彼と比較すれば、最近、話題になった〇田裕也さんなど、かわいいものである。そのあと、ジョージは彼を許し、仲直り。このあたりが、常人には理解できないところ。
そのあとも、不慮の事故で4歳の息子を亡くした。その悲しみの果てに出来た曲が、あの「TEARS IN HEAVEN」 まるで、自分の人生を切り取りながら、その苦しみの果てに曲を書いているような気さえする。
今回、 スティーヴ・ウィンウッドとコラボを組んでの来日。
1960年代半ば、ともに若き天才的アーティストとしてロック界に登場した彼らはクラプトンのクリーム、ウィンウッドのトラフィックがほぼ同時に分裂したあと、理想的な創作環境を求めてブラインド・フェイスを結成。69年にアルバム『ブラインド・フェイス/スーパー・ジャイアンツ』を発表し、ツアーも行ったが、翌年には暗礁に。
長い時を経て、2007年、再び距離が縮まり、ファンの要望に応える形で、黄金のコラボを再び組むようになった。
来日ツアーは、11月17日の札幌公演を皮切りに、同19日横浜アリーナ、同21、22日大阪城ホール、そして、12月2、3、6、7日東京・日本武道館まで8都市で12公演を行うそうである。
クラプトンは、今回の来日に向け、「皆さんを友人と思い、70年代以来、しばしば日本を訪れています。今とても大変な状況にあることはニュースを通じて知っています。被害にあわれた皆さん、大切な人を失った皆さんのことを思い、悲しく感じています。私たちが演奏することで、少しでも力になれればと思います」とメッセージを寄せている。
チケットをとり、なんとか大阪城ホールに、いきたいものだが。
また、ご報告します。
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