テノールの夕べ

この数週間、たくさんのご縁や機会を賜り、ありがたいなと感謝しています。

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先日は、大阪のいずみホールにてのテノール歌手のジョン・健・ヌッツォ氏のコンサートに行かせていただきました。お客さまのAさまのご招待です。ありがとうございます。

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クラッシックのコンサートなので、緊張感のなか会場へ。入り口でNYでお世話になりました長谷川さんと松田くんと無事合流。 ロビーに吸い込まれていく方々は、みなさんアカデミックな雰囲気の方ばかり。

いただいていたチケットが最高の場所でした。巨大なパイプオルガンを背にするステージ。荘厳な空気感を感じつつ中央の席へ。

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演目は、ベートーベンとシューベルト

最初に、ジョン・健・ヌッツォ氏のご挨拶と曲についての解説がありました。

しゃべられる声も当然のごとくテノールで、耳に心地良く響いてきます。物腰のソフトさと出で立ちで、女性ファンが多いのもうなづける。
曲の細かな解説は覚えていませんが(失礼)、ベートーベンとシューベルトの関わりについてのお話が印象に残っています。

ベートーベンとシューベルトは面識があったのか・・ご存知ですか?どう思われます?

当時、ベートーベンはすでに有名作曲家。シューベルトはその死後、認められたそうで小市民的な生活を送っていた。シューベルトにとって、モーツアルトではなく同時代を生きたベートーベンが、憧れの存在であったそうです。そして、両名ともウィーン(当時の人口は10万人足らず)に住んでいた。よって当然、面識があったであろうと伝えられています。

「ベートーベンの後に、何が作曲できるでしょう?」と友人に漏らしたという記録が残っているそうです。それほどふたりの間は、音楽家としての格に差があった。

シューベルトは、ベートーベンが亡くなった翌年、31歳という若さでこの世を去ります。その生涯で500曲以上の曲を残したシューベルト。
死後にベートーベンと並び称される作曲家として世に認められることを知らずに、この世を去るのです

ウィーンのとある墓地。目標だったベートーベンの墓の隣に埋葬され、今もたくさんの人々が訪れるそうです。

このあたりのお話は、以下のサイト(モーツアルト、ベートーベン、シューベルトの関係を解説されています)から・・https://blogs.yahoo.co.jp/jgda_1960/28039193.html

こんな素敵なエピソードを勉強できたことを、ありがたく感謝しています。

さて、前半ベートーベン、後半シューベルトに分けてドイツ語による楽曲が、すばらしいピアノ演奏で歌い上げられます。
ピアノの河原忠之氏とジョン氏の超絶技巧。息の合ったおふたりの絶妙なコラボレーションに魅了されました。

そして、なんとなんとコンサートの後、光栄なことに、Sさまの先導でバックステージへ。

楽屋前のアーチストテラスにいれていただいたのです!

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それというのも、NYでお世話になりました長谷川さまにこのコンサートのことをお知らせしましたら、ぜひとも拝見したいと。わざわざ、熱海から新幹線に乗って大阪に来られたのです。

実は、ジョン・健・ヌッツォ氏が、まだ有名でらっしゃらない頃、長谷川さまがジョン氏をウィーンに送りだされた。そこからジョン氏の音楽家としての道が開けた。
つまり、ジョン氏にとって長谷川さまは恩人という関係だったからなのです。

点と点が繋がる・・まさにそんな瞬間でした。

そんなこんなで、Sさまと長谷川さまをお引き合わせできただけで、少しはご恩返しができたのかなとうれしい気持ちで帰途につかせていただきました。

ご縁という不思議

人生というものは、そんな不思議な出来ごとの繰り返しで出来上がっているのですね。

いつも、ご訪問いただき感謝しています。

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ようやく、ネットが開通!!
これで以前のようにブログに取り組めます。

今後とも、よろしくお願いいたします。