ほんとうの最終授業

八年間、大学院ゼミの聴講を続けてこられた渡邊さまの発表で、実質の最終の内田ゼミの授業がおこなわれました。題材は「昭和のエートス」。

続けてこられた渡邊さんはすごいが、ほんとうに皆勤は、僕だけだよとは、先生のお言葉。

先生の著作「おじさん的思考」のなかにでてくるおじさんとは、内田先生自身のことではないそうだ。ほとんどの読者はそう思って読んでいるが、違うと。誰を指しておじさんとしているか。それは、内田先生の御尊父、お父さんの世代の方々である。その世代の方々の言いたかったが、言えなかったことを代わりに、パスして伝えていこうと書き始めておられると。

明治生まれの人たちに、無条件に押し付けられ従ってきて、言えずにただ黙々と生きることだけに精一杯であった時代、世代の声なきパスを。

授業が終わった後、先生を囲んでの会で、私の通った三年のいろんなことが頭をかすめ、思いだされた。いつになく超ご機嫌な内田先生に、古い顔、若い顔、みんな、笑顔だったが、時間の経過の早さとゼミを卒業して、先生に会えなくなると少しさびしい気持ちで先生の背中をみていたのは私だけではないだろう。

求め続けていく限りにおいて、師匠は師匠であり続けていく。
なにも変わらないのだ。