風の男、白洲次郎さんの墓参りに

いまでもたまに、「何故、三田にお店だしたんですか」と尋ねられる。

そんなとき頭をかすめるのは、白洲次郎さんのこと。

「風の男、白洲次郎」を読んでから、大ファンになったのは何年前であろう。

明治の時代に、ケンブリッジに留学し、ベントレーやブガティに乗ってイギリス人の友人とヨーロッパ中をまわる。当時、実家が材木問屋で、それこそ毎月、信じられない金額の仕送り(現在のお金で数千万円)を受けていたと書いてあった。

生粋のボンである。しかし、このボンは只者ではない。一本筋が通っている。戦後のアメリカのGHQと通訳として、吉田茂の命の下、日本国を良くするため尽力した人物です。決して表舞台に立とうとはしない。 東北電力の会長や会社の役員を歴任。実業家でした。

「カントリージェントルマン」

白洲さんを呼ぶに、ふさわしい呼称。戦後は、実業家として活躍後、白い911ポルシェに乗り、軽井沢ゴルフクラブの会長として晩年を過ごされました。
基本的に、東京の方なんですが、奥様の白洲房子さんとともに、三田のサロンに程近い小高い丘の上、「心月院」に並んで眠っておられます。
「葬式なし、戒名なし」そういい残され旅立たれたそうです。もちろん墓石に、戒名はありませんでした。

ここ、すごいヒーリングポイント。たたずまいが静かなところです。
人生の道に迷ったとき、教えを請いに、またやって来たいと思います。