冷たい麺類や、冷奴に手がのびる季節。夏バテは大丈夫ですか? 錦糸卵や、焼きなす、トマトやきゅうりなど付けあわせを考えて夏を乗り切りましょう。
お土産にいただきました、北前亭のちりめんがおいしくくてご飯がすすむんですよ。ちりめんってカタクチイワシの子供なんですね。初めて知りました。
これは、お客様が、尾道を旅行されたときにお求めになられたもの。パッケージは下の写真。かわいい絵ですね。海に続く坂道とネコ。尾道というと坂道。大森監督の尾道三部作(時をかける少女、転校生、さびしんぼう)を思い出します。一度はいってみたい。
北前亭という名前とイラストに惹かれて調べてみました。
江戸時代中期、その当時の物流や産業に多大な発展をもたらしたといわれる「西廻り航路」が、河村瑞賢により開発されました。この航路は北海道の江差や松前から、奥羽・北陸・能登・隠岐等日本海側の各地を寄港地として、下関を経由して瀬戸内海に入り大阪へ向かうもので、そこでは「北前船」と呼ばれる商船が盛んに行き交ったそうです。
北海道から大阪に向かう「登り荷」には、東北からの木材や米、そして北海道の干魚、塩魚、魚肥、コンブなどの海産物が、また上方からの「下り荷」には、塩、鉄、砂糖、綿、反物、畳表などがあったそうです。港々で商売をしながら航行する北前船が立ち寄る港町は、船乗りや商人たちで大いに賑わい、町には、船主や船頭の邸宅、白壁の蔵がいくつも建ち並び、その繁栄ぶりを物語っていました。
平安末期、後白河法皇により開港された尾道は、中世、近世を通し瀬戸内海に君臨した由緒ある港町です。江戸中期から明治にかけては北前船の寄港地となり、北日本の米や海産物が集まり、また帰りの船には塩や畳表、酢、綿が積み込まれ、交易の一大中心地として大変な賑わいを見せていましたそうです。
まさにその時代、江戸中期の天明6(1789)年、北前亭はここ尾道で創業。北前船の昔より200年以上にわたり守り続けた伝統への誇りと自信、そして北前船が日本各地の物産を全国に届けたように私共も、心を込めて作る美味しい製品を全国の皆さまにお届けしたいという願いを込め、「北前亭」という名前を使っておられるそうです。
ちりめんだけでも、山椒や梅、ちりめんのほかにも広島菜を使ったものや、鯛、エビ、穴子など海産物を使った珍味の商品が、たくさんあり、さすがに尾道港町だなと。ネットで注文できるようです。