恒例の芦屋レフトアローンでの夏ライブの模様を。
もう何回目を数えるであろう、伊藤銀次さんを毎回ゲストにお迎えしての芦屋レフトアローン・ライブ。
毎回、ライブといっても、社会人が集まって行うバンドのことですから、練習もタイトなスケジュールを調整してになります。メンバーそれぞれに、仕事を持っていますからたいへんです。音楽好きの、いい大人が集まって、ひとつのことをやり遂げる意味を考えてしまいます。
数ヶ月前からぼちぼちと毎週の練習を重ねて、当日。
当日も、最後のあがきで会場に行く前に夙川のスタジオにて練習。そして会場入りしてリハーサル。ふうぅ〜。しかし、・・
始まってしまえば、あっという間の時間。それまでのプロセスの時間は、何だったのかというほど短く感じるものです。みなさんにもご経験がおありでしょう。
合間に、銀次さんとお話したり、古い友人と再会したり、楽しい時間も矢のように過ぎ去る。
こうして、旦那芸を研鑽することで、いいおとながさらに「大人」となっていくのであろう。
まあ、これも半玄人として、ひとつのサブカルチャーな文化を支える一旦となっているに違いありません。そのあたりは内田樹先生のこちらを。
http://blog.tatsuru.com/2015/04/27_1302.php
ちと長いので、抜粋して結びの一文を:
私たちの社会は「身の程を知る」という徳目が評価されなくなって久しい。「身の程を知る」というのは自分が帰属する集団の中で自分が果すべき役割を自得することである。「身の程を知る人間」は、おのれの存在の意味や重要性を、個人としての達成によってではなく、自分が属する集団がなしとげたことを通じて考量する。
それができるのが「大人」である。
私たちは「大人」になる仕方を「旦那芸」を研鑽することによって学ぶことができる。私はそう思っている。同意してくれる人はまだ少ないが、そう思っている。
まだまだ、大人にはほど遠い自分を恥じつつ、おのれの素人芸の不出来に恥じ入り、それでも熟達し洗練されたプロフェッショナルな技芸への欲望に灼かれながら、いけるところまで続けていきたいと思う。村主さんを初めてとして関係者の皆々様、レフトアローンのみなさま、ありがとうございました。
いつも、お読みいただき感謝しています。