「キラキラ女子力」VS「私は見た」

合気道、御影住吉、朝稽古。

 

 

 

 

 

雲など、微塵もない快晴の朝。

内田樹師範、ご不在で助教、S原さんの代稽古。

 

入門より1年間は、雲の上をフワフワと、ただ歩くがごとく。2年目・3年目は、迷走とケガ(膝の半月盤損傷)。4年目、作法・形・技の型・所作・佇まいようなものが分かりかけ、5年目の今日にして、エデンの園へとつながる道の入り口の、ついに、ようやく(遅過ぎだぜ!)、かすかだが、輪郭が見えた気がした。

 

自らを頭で理解できなければ、身体が動かない人間なのだとあらためて思う。

いくつかの糸口が、指先に触れた感じと書けば分かっていただけるだろうか。

 

S原さん、丁寧なご指導、ありがとうございました。

 

その後、三宅接骨医院。やはり、身体が曲がっているらしい。スッキリ。

 

その足で、母をお願いしている施設へ。

外出届にサインをして、車椅子を押して移動。芦屋のサロンで髪をカットし、近くの蕎麦屋から出前を取って、一緒に食事をした。

 

予定を急きょ変更して、こんな気持ちになったのは、その前日、シネマ部で「クロワッサンで朝食を」という辛口な映画を観たからかもしれない。この模様については後日、詳しく。

 

 

まずこの映像をご覧ください。

 

 

http://vimeo.com/m/89936769

 

 

このリヴァースな映像と同じく、この数十日で、まったく世界が違って見えてしまった方として、小保方さんが頭に浮かんでしまう。

 

 

先日、STAP細胞が、万一、存在したらというブログを書かせていただいたら、何人かの方に意見をいただいた。

 

「違うだろう!」と。

 

科学者はじめ、世間一般の大多数意見である「STAP細胞など、存在しない」としたらという観点からみると、小田嶋隆さんの「あれは女子力のイベントだった」という意見はごもっともと思う。

 

けれど、私的にはこっちかなと。

 

 

閑居 @doatease2313

小保方さんの会見、文化系が見てると、なんだか演劇の世界のように見えるのだが。「私は、幽霊を見ました。幽霊が存在するのは間違いないです。でも、その説明の仕方で間違ってしまいました。ごめんなさい。でも、幽霊はいるんです・・・・。」

 

飛び交う科学・医学の専門用語や、答えようのないマスコミの質問など、かなり演劇的、あるいは「事実は小説より奇なり」という印象。

 

これには、かなり複雑怪奇な「ウラ」がありそうです。

http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/52007675.html

 


 

佐村河内問題と同じく、早く忘却の彼方にするか、熱くならずに静観して、事実が判明するのを待つことが賢明に思いますが・・。

 

みなさんはいかがでしょう。