ひとは、「おぎゃ〜」とこの世に生まれて出てきてからの数十年、そして、この世を去る直前直後、他者の手を借りずして生を全うすることは不可能でしょう。
経済的に自立するまでの18〜30年ほどの間は、例外もあろうが、親や親戚や学校の先生やまわりに存在しているすべての人々に守られて生かされている。
「今度の休みに、ディズニーランドに連れて行ってやろう」のひと言で、天にも昇る気持ちになり、「教科書を仕舞いなさい。テストをします」の号令で地獄に堕ちた気分になってしまう。
多くは、親であったり先生であったり、その場の主催者の好意で、しあわせ度が大きく左右されるのだ。理屈を理解できないでいる間は、差し出された食事に文句をいい、こんなことはしたくないと不平不満をぶつけ、したいことだけをして、まわりを振り回すことは当然の権利と勘違いします。
失敗し、教えられ、学び、また、失敗。幾多の変遷を遂げながら経験を積み重ね、理解が始まる。「価値観」が出来上がり、ようやく精神的に自立する段階にまでシフトしていく。
そこで安住してはいけない。そこから自力を蓄え、次のステージにあがらねばならない。
今度は、時間やお金、愛を費やして、場を提供する「場の主催者」にならねばなりません。
機会を作り、チャンスを提供していく側に・・。
その場が、家庭なのか、職場なのか、地域社会なのか、その人が置かれた立場や環境、器によるでしょう。
そうやって順番に役割をチェンジし、贈与を繰り返しながら、世の中は回っていく。
書いてしまえば、簡単に感じられることでしょう。しかし、この理屈を理解するまでにたくさんの時間と多大な手間や迷惑を他者に与えることとなります。
生を閉じる間際になっても、まだなお理解できずに、この世を去ることも少なくありません。
あなたは、いま、どのプロセスにおられるのでしょうか。