内田樹先生のTwitterに書かれておりました一文を、取り急ぎ、掲載させていただきます。
合気道のことを、このブログに書かせていただいたものをご覧になり、「こりゃ、マズイぞ」と思われた節ありですね。
武道や身体論は、底なしに深く、一括りに語れるものではないのだという戒めかしら。
以下の一文をお読みいただくと幸いかと。
「合気道というの相手の力を利用して、相手を制する技法ですか?」と訊かれて、いつも「うーん、厳密にはそうじゃないんだけど…」と歯がゆく思っていましたが、稽古のあとに歯を磨きながら思いついたのは、合気道というのは相手が「自分の力だと思っているもの」を操作して、相手が「自分の身体だと思っているもの」を制御する技法だと言えばより正確かなと思った矢先ですから。震えもします。
自分の身体は今からこういうふうに動くはずであるという「先駆的な身体図式」には物質的な手応えが伴います。それを自分の身体はこれからこういうふうに動くはずであるという先駆的な身体実感で制御することは可能です。
いわば、相手の「身体についてのイデア」をこちらの「身体についてのイデア」によって制御する。イデアレベルでのやりとりをしているのですが、それぞれのイデアが絶えず身体実感によって充実されている。制御の主体性は、どちらが自分のイデアをよりリアルに体感できているかによって決される。言い換えると、形相と質料の相関の高いものが「随所に主となる」。
プラトンもソクラテスもその能力を戦場での戦技経験で開発したのでは…。