村上春樹 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」について思うこと

村上春樹作品を、読み始めたのは 幾つの時であったろう。

 

 

20代前半であったことは間違いない。正確に思い出せないほど時間が経っているということだ。当時、かっこいい生き方に対しての憧れが強い、未熟な若造であったことは否定できない。

 

ほかにも、流行っていた片岡義男の小説なんかを読み漁っていたし、大学を出て、務めを辞めて、音楽なんかを続けていたのだから、今思い返せば、世間一般でいう真っ当な人間ではなかった。無為だが、確実に存在した季節。

 

 

それでも、やはり「僕」や「鼠」の生き方に憧憬を禁じ得なかったし、懸命に毎日を生きるだけで、それでいいと自分で自分を勝手に納得させていた気がする。

 

 

そんなわけで、初期三部作(「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊を巡る冒険」)に対しては、特に強い思い入れがある。

何度も書かせていただいているが、映画も、音楽も小説も、自分の一番、光り輝いていた、あの時代を思い出すためのタイムマシーンなのだから。

だけど、寝る時間を惜しんで、没頭できたのは、「国境の南、太陽の西」あたりまでだと記憶している。内容さえも忘れかけている作品もあるが、もちろん、ほとんどの作品は読了。

 

神懸かり的な比喩のうまさ、登場人物の設定の不可思議さ、一人称と三人称の組み合わせ、音読に適したリズムのある文体など、いまでもファンであることにかわりはないが、信者とは呼べなくなった。

正直、予約までして、発売当日に読むほどではなくなったということです。ある種のパターンを感じてしまうからだろうか。それだけ自身が歳をとったせいなのか・・。

 

 

 

 

それでも、Amazonでポチった。

4月20日には、増刷分の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の一冊が、手元に届くだろう。

 

 

今回も、あの若かりしころを思い出させてくれることを切望しながら、また忙しくページをめくるのだ。