スイスのロビンソン

以前、神戸女学院大学院の聴講に行かせていただいていた。
先生は 内田 樹(うちだたつる)という私が尊敬するフランス現代思想の教授である。

その内田先生のブログ(http://blog.tatsuru.com/)に「なぜ若者はうまく働けないのか」というテーマで書かれていた文章を読み、思わず膝を打った。

あの独特のメタファーの効いた内田節が炸裂している。
以下はその抜粋:

【みんなで働き、その成果はみんなでシェアする。働きのないメンバーでも、集団に属している限りはきちんとケアしてもらえる。
働くというのは「そういうこと」である。

だが、社会活動としては消費しか経験がなく、「努力」ということについては受験と就活しか経験がない若い人にはこの理路がうまく理解できない。
どうして自分の努力の成果を他人と分かち合わなくてはいけないのか?
だって、それオレのもんでしょ?

違うのだよ。

『スイスのロビンソン』という、今ではほとんど読まれることのない児童文学作品がある。
これはスイス人一家が無人島に漂着して、そこでロビンソン・クルーソーのような暮らしをするという物語である。
その冒頭近く、漂着したあと、海岸でみんなで魚介類を集めてブイヤベースを作るという場面がある。

スープができたはいいが、皿もスプーンも人数分ないから、みんなでわずかな食器を使い回ししている。すると、子どもの一人がおおぶりの貝殻をとりだして、それでずるずるスープを啜り始めた。
なかなか目端の利く子どもである。
それを見た父親が子どもに問いかける。
「お前は貝殻を使うとスープが効率よく食べられるということに気づいたのだね?」

子どもは誇らしげに「そうです」と答える。
すると父親は厳しい顔をしてこう言う。

「では、なぜお前は貝殻を家族の人数分拾い集めようとせずに、自分の分だけ拾ってきたのだ。お前にはスープを食べる資格がない」
私は9歳くらいのときにこのエピソードを読んで「がーん」としたことを覚えている。】

いつもながらにおもしろい。うちのスタッフに限っては、よもや「働くことの意味」を正しく理解していないメンバーがいるとは考えもしないが。
自分以外の他者になにをなせるか?どんな感動をもたらせるか?

「自己実現のための夢」と「まわりの家族や仲間、社会をふくめた夢」とは達成した後の未来が大きく変わると思うのだが・・。

〈内田樹〉1950年東京生まれ。東京大学卒。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。著書に「ためらいの倫理学」「先生はえらい」「おじさん的思考」等。