才能なんて

朝から、お客様に合気道関係者の関係の方が続く。

 

 

甲南合気会のY山さま、T辺さま、D松さまと続いてお越しになる。それぞれに面白いお話をしてくださり、たいへん勉強になります。


Y山さまは、世界の大企業P&Gの方ですし、T辺さまは元NHKで番組制作に携わっておられ、D松さまは、大手建設会社、竹中工務店で設計をされています。みなさん、一家言もっておられて、面白いお話を聞かせてくださいます。この仕事の醍醐味は、居ながらにして、様々なジャンルの方が、その道の方でしか知りえないお話を聴かせてくださるという幸運。

 

そのなかでも、今日のハイライトとしてあげるとすると、「才能なんて大したことない」ということでしょうか。

 


D松さまは、大学時代から建築設計の世界に。業界に染まるにつれ、「まわりは、才能にあふれた若者だらけ。やっていけるのだろうか?」と一時期は、悩み、打ちのめされたそうです。それから11年。その間の支えとなったのが、ふたりの先人の言葉や生き様。

 

ひとつは、哲学者 吉本隆明の言葉。

 

 

 

 

「才能なんて、与えられたものは問題ではない。何事でも、10年やれば、それなりのものになる」この言葉だけを頼りに、なんとか10年やってこれたそうです。

昨今、夢を持ち、実現に向けて進んでいく若者の減少を感じます。才能がないからと初めからのあきらめムードのなか、厳しい現実に、才能のある人を羨むことに終始してしまう。

才能に恵まれた人でも、天賦の才能におぼれ、努力をしなければ、やがてそれは枯渇し、失われてしまうでしょう。学びし経験や知識を、他者にアウトプットして、努力し続けるものだけが、生き残るのです。

 

ふたり目は、タモリさん。いささかギャプを感じる方もおられるかもしれません。ですが、その才能と運はすごいものがある。

 

 

その昔、サラリーマンをなさっていたタモリさん。福岡県の飲み屋で飲んでいたら、ドンチャン騒ぎをしている一団に遭遇。それが、あのJAZZピアニストの山下洋輔氏。そこで、その場に乱入し、デビュー当時、よくやられていたイグアナの形態模写や、外国語模写を繰り広げるわけです。それが、大うけに受けて、その場で名前を訊かれ、「森田」とだけ答えて、その場を去ります。


ところがその後、あまりにおもしろかった故、その名前だけを頼りに、山下氏はタモリさんを探し始めます。最終、探しだされた末に東京に呼び寄せられ、赤塚不二夫さんのところへ居候。奥さんを福岡から上京させて、9か月間も、赤塚不二夫氏の豪邸に住み、メルセデスを乗り回す生活三昧だったそうです。


しかし、それは、赤塚氏が事務所住まいをして、不自由な暮らしをすることによる犠牲のもとに行われていたことを、あとから知ることになります。


その赤塚氏の想いを受けて、タモリさんは、常に自分が表に出て、でしゃばるのでなく、ほかの人の話を聴くことに徹することを学び、「笑っていいとも」につながて行くと。

 

その後の快進撃は、みなさんご存知の通り。もっと詳しくおしりになりたい方へ: http://matogrosso.jp/tamorigaku/tamorigaku-02.html

 

分を知り、立ち位置を間違えず、やり続けること。好きなことを、頑なにやり抜く決意なくして、同じ番組を続け、厳しい芸能界で何十年も生き続けるという離れ業はなしえない。

 

含蓄の詰まった勉強になるお話を、ありがとうございました。

 

 

 

 

◆吉本隆明

 

 

 

 

 

吉本 隆明(よしもと たかあき、男性、1924年(大正13年)11月25日 – 2012年(平成24年)3月16日)は、日本の思想家、詩人、評論家、東京工業大学世界文明センター特任教授(講義はビデオ出演のみ)。日本の言論界を長年リードし、「戦後思想界の巨人」と呼ばれる他、右派の江藤淳に対して左派の論陣を張り、両者は戦後最後の「批評家」と評されている。血液型はA型。「隆明」を音読みして「りゅうめい」と読まれることも多い(有職読み)。漫画家のハルノ宵子は長女。 作家のよしもとばななは次女。 ウィキペディア

 

 

 

 

 

 

 

◆山下洋輔

 

 

 

山下 洋輔(やました ようすけ、1942年2月26日 – )は、日本のジャズピアニスト、作曲家、エッセイスト、作家である。ひじで鍵盤を鳴らす独自の奏法を交えながら演奏する。 ウィキペディア