「わかった」はない世界

御影、住吉。朝稽古。

 

審査の日でした。

精進が足りず、畳の上で、また真っ白に。

 

 

 

 

 

 

振り返りをしつつ、ワンコと夙川を散歩。

緊張すると、呼吸が浅くなり、脳に酸素が十分にいかず、思考もままならない。

 

内田師範が、読み上げられた技をおこなわねばならないが、すぐに技の把握ができない。足の捌き、組手など、決められた手順がある。相手が動き出すより、一瞬早く先手をとることが求められます。

本来、聞いた瞬間に身体が動きださねばならない。頭で考えて、動作に移るでは遅いのです。ひとつの技だけで、何通りもの手さばき、足さばきが存在します。

DVDを何度見直そうが、実践とは別物。

合気道では、「わかった」はない。それほど奥が深いと感じます。

日々の生活の中でも、世の中や人間関係の機微はとても複雑に出来ていて、わかった気がするだけ。実は何も分かっていないことが大半です。理解できないものが、この世に存在するということが理解できているのかどうかが、子供か、あるいは大人かの試金石になるように感じます。

合気道では、とにもかくにも、頭で考えるより、身体に覚えてもらうしか手がない。

真っ白になっても、身体が自然に動いてしまうまで、練習あるのみです。